このブログでは、すい臓がんを完治するまでの、知識と経験を共有していきます
[運動4]私の治療と活動量変化 – 桜がくれた体力回復への道
こんにちは、チコです。
これまで、がんと運動の関係に関して、以下の記事
で、ご紹介してきました。
今回は、膵がんの治療経過にともない変化していった、わたしの身体活動量について、ご紹介します。
治療の経過は人それぞれ異なります。「こんな人もいるのね」という参考程度に、ご覧ください。
膵がん罹患前|運動習慣はあるが、直前2年間は仕事中心
~2018年
まずは、膵がんと診断される以前の私です。
身体を動かすことが好き、運動習慣のある日々
私には、もともと日常的な運動習慣がありました。
学生時代は、体操やバレーボールなど運動部に所属。
社会人になると、忙しい日々が待っていましたが、踏み台昇降やストレッチを日課とし
時間をみつけては、ホットヨガで汗を流したり、皇居ランニングを楽しんだり。
ところが
新しい仕事を始め、崩れてきた運動習慣
がんと診断される2年前から、この運動習慣が崩れていきました。
がんになる2年前に新しい仕事をスタートし、そこに集中すると、運動や食事などの健康に気をつかうことを怠るように。
うーん、今の ITプロジェクト管理の仕事は楽しいけど・・
拘束時間が長いし、往復2時間の通勤時間もムダ・・
そうだ、もっと時間も場所も自由な仕事に挑戦してみよっ!
と、自由を求めチャレンジした仕事でした。
ところが、起動にのるまでの2年、運動する時間も惜しんで働いてしまったのです。
そんな夢中で取り組んだその仕事も、ようやく起動にのりはじめた、そのとき
・・・
がんと診断されてしまったわけです。
えー、新しい契約も決まったのに! このタイミングで病気になる??!
がんと診断、あらためて知った運動の大切さ
がんと診断をうけた当初は相当ショックでした。
と同時に、「なぜ膵がんになったの?」と、これまでの生活を振り返るようになりました。
そうして生活の振り返りや、がんについての勉強を進めていくうち、運動の大切さについても学んでいくことに。
治療を乗り切り、また元気な身体に戻るには、体力が必要だな
身体のシステムが正常に働くために、、、食事の栄養バランスはもちろん、運動もしっかりしていこう!
こんなふうに「身体のシステムを再び正常化させたい!」という思いで、あらためて運動を意識しはじめたのでした。
ここから、がん治療の経過ごとの私の活動(運動)状況をご紹介していきます。
(術前)抗がん剤|副作用に苦戦、後半は運動できるまで回復
診断当初、私のがんは手術ができないほどに進行していました。
残るは、延命治療の抗がん剤。
幸いまだ体力があったため、「フォルフィリノックス」という強力な抗がん剤をつかえることに。
ただ、この薬、確かに効果も強力ですが・・
副作用もとっても強力だったのです・・・!
はじめての抗がん剤に身体がついていかない(2019年3月)
2019年3月
はじめての抗がん剤。身体が相当びっくりしたようで、様々な副作用が出てきました。
投与中(3日間)は、ぼんやりした意識と吐き気で、食事もロクに喉を通りません。
そして、次の投与(2週間後)までは、倦怠感とふらふら足元のおぼつかない感じが続きます。
ある日のことです。
寝てばかりいるより少しは体を動かしたほうがいいよね、と考え
ゴミ出しに行ってくるね!
元気よく外に出たのもつかの間、玄関先で頭から大胆に転んでしまいました。
ゴミ出しから帰った私を見た家族はびっくり。額や頬、腕や膝など、擦り傷だらけ。
そんなふらふらの状態で、どうして外に出たのっ!?
と、ひどく怒られたのを覚えています。
このころは、まあよく転んでいました。家の中、廊下で、キッチンで、リビングでと。
直立のままドスンって勢いよく倒れることも多く、肋骨などの骨折の心配で、何度か整形外科のお世話になりました。
まだ頭も体も混乱していたのだと思います。
倦怠感なんて気合いでどうにかなるさっ!
これまで通り動けるはず
頭では今までどおり動けると信じている。でも、動かない身体・・・
・・・
こんなふうに
運動どころか、日常生活にも不便が生じるほどの状態で、治療をスタートしたのでした。
当時の私の身体活動目標は
抗がん剤にも慣れ、散歩もできるように(2019年6月)
2019年6月
前途多難な道のりに見えた抗がん剤治療でしたが、2〜3ヶ月もすると、だんだんと身体が慣れ、楽になっていきます。
当初は、抗がん剤を投与されると、まるで頭を思いっきり殴られたような衝撃を感じ、相当なダメージでした。
ボーっとした意識の中でも常に吐き気を感じ、その後ひどい倦怠感がおそってくる。
なんと、それらの不快な症状が、どんどんと軽減されてきたのです。
これに気をよくした私。
ここぞとばかりに、「体を動かす時間を作ろう!」と、散歩やサイクリングなどの運動に挑戦しました。
ところが・・・
そんなに簡単に、事は運ばないものなのですね。
短時間であれば動けるようになったものの、活動時間を伸ばすことが、なかなかできません。
たとえば、電車での移動や買い物など。少し長めの外出だと、息切れやめまいで倒れそうになります。
そこで、少し工夫をし、徐々に動ける時間を増やしていきました。
家族に付き添ってもらい、自分の身体と相談しながら、好きな活動を楽しみながら、と。
当時の私の身体活動目標は
抗がん剤克服?活動範囲がどんどん広がっていく(2019年9月)
2019年9月
さらに数ヶ月の時を経て、夏がやってくると、だいぶ体が動くようになり自信もついてきました。
8月には、家族と花火大会へ行くこともできました。
壮大な花火に感動で涙し、自分ががん患者であることなどすっかり忘れてしまうほどでした。
9月になると、1人で歩いて外出することもできるようになりました。
日中、公園まで1人での散歩を試みてみます。
いやあ、自然を楽しみながらの散歩、さいこー!
もちろん、最初から全て順調にいったわけではありません。
散歩の途中で立ちくらみや倒れそうになることも。
でも、回を重ねていくごとに、徐々に自信がついていきました。
こうやって少しずつ行動範囲を広げていくうちに、毎日運動するようになり
30分から1時間は動くことができるようになっていきます。
そして
そうこうしているうちに、なんと!
当初無理だと言われていた手術ができるほどまでに、腫瘍が小さくなっていったのです。
有難いことに、予想していたよりずっと早くしっかりと、抗がん剤が効いてくれたわけです。
抗がん剤、ありがとうー!
うまく薬の調整をしてくれた肝胆膵内科のK先生、ありがとうー!
周りへの感謝の気持ちもいっぱいでしたが
自分自身に対しても、「頑張って積極的に体を動かした甲斐があったね」と、褒めてあげたい気分でした。
当時の私の身体活動目標は
手術直後|病院の指導で積極的に動く
すごい、手術ができるようになるなんて奇跡。頑張りましたねー
優しい看護師さん達にこんな風におだてられ、気をよくした私。
当時の私は、この「手術」がどんなに大変なものか想像もしていませんでした。
手術翌日からICU 集中治療室でリハビリ始まる(2019年12月)
2019年12月
チコさん、チコさん、分かりますかー?
手術ね、無事に終りましたよー!
看護師さんの掛け声とともに、手術から目覚めます。
意識が戻ったと同時に強く感じた事は、「お水が飲みたい」でした。
イメージ的には、まるで「フルマラソンを走りきったあと」?のように、とにかく喉が渇くのです。
お水を飲みに行きたい!
あー、でも体が動かないよ・・
のどが渇くよー・・・
この時点の身体活動量0 。
術後の生活は、こんな砂漠の中で目覚めたような状態から始まりました。
続いて襲ってきたのは、痛み。
痛いっ、お腹が痛いよおーーー!
楽になるために横を向きたい
あー、でも、まったく動けない
壮絶な痛みや苦しみとともに、ICU 集中治療室での生活は続くことになります。
そんな中、手術の翌日
看護師さんの言葉に、思わず耳を疑いたくなりました。
さあ、今日からリハビリを始めましょう!
・・・・・・・
・・・はい?
まだ身体にはドレーン(管)がたくさん付いていますが?
痛みで苦しんでいますが・・?
手術後は、麻酔や、点滴や、お腹から膵液を排出するドレーンなどと、たくさんの管につながれているのです。
そして、呼吸ができなくなってしまうほどの激しい痛み。
・・・・・・・
さあ、リハビリを始めましょう!
さあリハビリですよー!
まるでスパルタのように聞こえるこのリハビリ、
実は、合併症を防ぎ回復を早めるための重要なステップだったのです。
手術の翌朝から座る練習、立つ練習、歩く練習を始めます。体をどんどん動かすことが順調な回復につながります
出典:膵臓の手術について|国立がん研究センター東病院
この時点で、1人ではベッドの上で起き上がることすら出来ないうえ
少し頭を起こすだけで、極度な低血圧を起こしてしまう状態でした。
それでも、看護師さんと先生の温かいサポートに支えられ
まずは、頭を枕から離すというところから、練習しました。
ようやく起き上がれるようになると、今度は、ベッドから足を床に下ろし、ベッドへ腰かける練習です。
この間も、めまいを起こしたり気を失ったりしながら、何度も何度もトライしました。
ようやくベッドに座れるようになると、次は、その場足ふみの練習。
はーはー、、ただ立ち上がるのが、こんなに難易度の高いことだったなんて・・・
そうとう歩みのノロい私でしたが、術後から4日目 ICUから一般病棟へ移る日
ついに!
歩行器につかまりながら、よろよろと、ICUの病棟内を一周することができました。
周りにいた看護師さん達から励ましの拍手をもらい、感動で泣いてしまいそうでした。
ICUのみなさん、本当に本当にありがとうございました。この感謝の気持ち一生忘れません
人間にとって「動ける」ということが、いかに大切で幸せなことかを、ICUの皆さんが教えて下さいました。
当時の私の身体活動目標は
一般病棟へ移動後、腹水を抱えながらも毎日1時間の散歩(2019年12月)
2019年12月
おそらく他の患者さんより、若干長めにICUに滞在していた私ですが、いよいよ一般病棟へ移動してきました。
この時の私の身体には、まだまだドレーンがたくさん繋がれています。
さらに、手術の影響でたくさんの腹水が溜まり、まるでスイカを抱えているかのようなお腹になっていました。
それでも、
術後、ICUで「体を動かすことの大切さ」を教えてもらった私です。
一般病棟に移ってからも、その教えを守り、積極的に歩くようになりました。
点滴スタンドにつかまりながらゆっくり一本ずつ前へ。
足をいっぽ前に踏み出すたびに、腹水でパンパンに膨らんだお腹に振動が響いて痛みます。
そんなお腹を両手で抱えながら、ナースステーションの周りを、1回15分、1日3~4回、歩行の練習。
入院中、まるで何かに取り憑かれたように、ただただ歩いていました。
当時の私の身体活動目標は
退院後から術後補助化学療法までは積極的に活動(2020年1月)
2020年1月
2019年12月6日に手術し、同月21日に退院。
術後は、リハビリのおかげか?合併症もなく、回復は順調とみられました。
ところが退院後、術後から始まった下痢に加え、腸や内臓の痙攣、下腹部の痛み、といった症状に苦しむことになります。
さらに、下痢による倦怠感に断続的におそわれ、自宅では、家事などは殆ど出来ずにいました。
一方で、このとき
術後まだそれほど時間が経っていないことから
とにかく、頑張って動かなきゃ!
と、かなり気を張った状態。
入院中に学んだリハビリの大切さも忘れないようにと、なんとか身体を動かすべく、悪戦苦闘をしていた時期です。
2020年1月はまだ、ちょうどコロナ禍の前だったことが、とても救いでした。
外の空気を吸ったほうが気が紛れるよ!
と、姉や兄、家族が、ドライブや食事などに誘ってくれました。
彼らと外出することで、一時的に痛みを少し忘れることができ、「身体を動かす」ことにつながっていきました。
当時の私の身体活動目標は
(術後)抗がん剤|衰弱と副作用で心が折れる
手術から1ヶ月と10日ほど過ぎた、2020年1月15日、術後補助化学療法の抗がん剤 TS-1が始まりました。
このTS-1という抗がん剤、術前に使ったフォルフィリノックスと比べ、副作用が軽めといわれてる薬です。
ところが、術後の弱った私の体には相当こたえ、この後丸々1年間苦しむことに。
麻薬系鎮痛薬をつかうほどの痛みで動けない(2020年2月)
2020年2月
TS-1を使い始めた1月は、まだ副作用もそれほど感じることなく、たかをくくっていました。
この薬なら余裕で乗りきれそう
しかし、2月に入り状況は悪化していきます。
手術後からの下痢による断続的な腹痛が、今度は、1日中続くようになりました。
さらにこの痛み、腹部だけにとどまらず、背中や肩にまで広がり、目眩をともなう激痛となることも。
この頃になると、トラムセットやロキソニンなどの痛み止めはまったく効かなくなりました。
夜中も、痛みで何度も目が覚めてしまいます。
このままでは体がもたないわ。なんとかしないと・・
そこで、がんを診てもらっている病院の緩和医療科のドクターに相談してみました。
そして、痛みの経過や強さから、ナルラピドという薬を使ってみることに。
ラッキーにも、この薬が私にはよく合い、頓服で服用するナルラピドと、1日1回のナルシスで痛みのコントロールを始めました。
この2つの薬には本当に助けられました。
つらかった激痛は何とかコントロールできるまでになります。
緩和医療科のI先生、私の「痛み」に真摯に向き合い、薬の調整をしていただき、本当にたすかりました!ありがとうございます!
ただ、麻薬系の薬だからか飲むとものすごく眠くなり一日中うとうとしてしまうことも。
こんな感じで、痛みのコントロールに神経を注ぐ日々が、2020年4月まで続きました。
この期間は、なんだか痛みとの戦いに疲れてしまい、運動もほぼしない状態。
どうしたものか・・・
ところが
4月に入ると突然、もう鎮痛薬もいらないほど、痛みが治まってきたのです。
あれ?ナルラピドを飲まなくても痛くない
とつぜん激痛がなくなった・・?
当時の私の身体活動目標は
抗がん剤の副作用(ひどい下痢と粘膜の損傷)でベッドから出られない(2020年5月)
2020年5月
わーい、もう痛くないぞー!!!
痛みから解放された喜びは相当なものでした。
しかし、そんな幸せな日々を味わうも束の間・・・
今度は、抗がん剤の別の副作用に苦しむようになりました。
この時点でも、ひどい下痢はまだ続いていたのですが、それにプラスし、粘膜に障害が出てくるように。
たとえば、
胃がやられて食欲不振になったり
口の中や唇の皮が破れ、朝起きると、上下の唇同士がくっついてしまい開けられなかったり
・・・
え、口がくっついて開かないんだけど?どういうこと・・・?!
う、吐き気が。気持ち悪いよーーー
そんなこんなで、気が付けば
術後なんとかキープした40キロの体重も、あっという間に35キロを切るまで落ちていました。
あえて鏡を見ないようにしていましたが、うっかり鏡に映った自分の姿をみてしまったときの衝撃・・・
ものすごく落ち込んだ当時の気持ちは、いまも記憶に強く残っています。
この時点で、わたしの活動範囲は、ベッド、トイレ、お風呂の3箇所。
ベッドを出るときは、いつも必ず家族に知らせ、いつ倒れてもいいように準備をしていました。
当時の私の身体活動目標は
治療完了後もつづく不調への焦りとコロナ禍で外出できないストレス(2020年8月)
2020年8月
2020年8月、めちゃくちゃ大変だったTS-1の抗がん剤の治療も終わりをむかえました。
このときは、本当にとても嬉しかったです。
抗がん剤、おわったよー。うれしいな!これから体調を戻すぞっ!
そう意気込んで、体力回復に全力でつとめました。
食事は少しずつ量を増やしていき、運動も少しずつ活動時間を伸ばすように。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
でもね、
なかなか思うように戻らないんです、体調が。
トイレから離れられなくなる辛い下痢も
ベッドから離れられなくなるひどい倦怠感も
抗がん剤をやめたら絶対に治ると信じて頑張っていたのに。
わたしの身体、いったいどうなってるの?
さらに辛かったのは、コロナが拡大し、通院以外は全く外出できないこと。
体調が悪い上に、散歩や少し気分転換に外に出る、という小さな目標すら持てない。
身体だけでなく、精神的にも病んでいきそうでした・・・
・・・
下の記事でご紹介した「負のスパイラル」にどっぷりハマっていったのです。
2020年8月から年末までは、この負のスパイラルから抜け出すために"もがいた"5ヶ月間でした。
当時の私の身体活動目標は
術後1年|苦しみぬいた下痢や腹痛が快方に向かう
2021年1月111
2021年元日
昨年は大変な一年だったね。今年こそは、ちえにも、きっと良いことがあるよ!
朝一で届いた姉からのうれしいメッセージとともに
お昼には、おせちと日本酒で、気持ちの良い新年を迎えることができました。
膵がんになったのに、体調が悪いのに、日本酒?
病気になって体調がわるいのに、日本酒なんて飲めるのか?と思いませんか?
ところが
偶々この時一口飲んだ日本酒(活性にごり酒)が、わたしの最悪だった体調に変化を与えたのです。
これをきっかけに、2020年の一年をとおして苦しんだ下痢や倦怠感が改善に向かいました。
※ これは、この時わたしの経験したことですが、普段はお酒は飲みません。
※ また、一般的には、アルコールは下痢を起こす可能性や、がんへのリスクも指摘されています。
日本酒の銘柄でもお腹の調子が変わるため、日本酒の「なにが」私の身体に作用したのか、正直よく分かりません。
術後の下痢で通院していた腸の専門病院の先生に、聞いてみました。
なぜ、日本酒を飲んだだけで、あれだけ苦しんだ下痢が、突然治ってきたのでしょう?
日本酒の酵母や麹が関係しているのかもしれないね・・?
チコさんのお腹と相性が良かったんだよ。
いずれにしても、少量の日本酒で下痢の苦しみから解放されるなんてめっけもん。良かった良かった!
と、笑顔で言われてしまいました。(^^;)
とにかく
お正月のお祝いにと、家族と楽しんだ、おちょこ半分くらいの活性にごり酒。
そこから、わたしの生活の質(QOL)が劇的に改善したことは、とても嬉しいサプライズとなったのでした。
あれ?
いつものような食後に起きるお腹のゴロゴロや腹痛などの不快感がない!?なんでーーーー?
ちなみに、実はもともと日本酒は苦手、興味もありませんでした。
でも、この一件から、日本酒の秘めたるパワー?麹や酵母に、興味を持ち始めています。(^^) 調べて何か発見があれば、また当ブログで共有しますね。
さて、前置きが長くなりましたが、運動に話を戻すと
下痢を含めたお腹の不快感が改善されていくと、生活全体の質は大きく改善され
身体活動量もどんどん増えていきました。
一日中お腹がゴロゴロし気分が悪くなり、ベッドに横になって過ごす日々から一転、
家事をしたり、家で仕事をしたり、リビングで踏み台昇降運動をしたり、と
日中動けるようになったことは大きな喜びでした。
当時の私の身体活動目標は
診断後2年|2021年春、桜の足音とともに身体が軽くなっていく!
2021年3月
2021年春
もうすぐ桜が開花する。怖がってばかりいても仕方ないよ。人のいない時間に見に行こう
以下の記事でも書きましたが、
引きこもりの一年に心身ともに疲れていた私を見かねた家族の、この言葉をきっかけに、わたしの状況はさらに好転していきます。
2021年に入り、日本酒をきっかけに生活の質もだいぶ向上はしたものの
さすがに1年も家に引きこもっていたため、家の外に出ることがもの凄く怖くなっていました。
うー、外出はこわい
途中で具合が悪くなったらどうしよう・・?
もしコロナに感染してしまったら・・?
心配なのは分かるけど、人の少ない場所と時間を選んで桜をみに行ってみよう。
川のほとり、早朝か、平日の午前中はどお?
・・・う、うん、わかった。じゃあ5分だけね・・・
こんな風に、家族と始めた桜の鑑賞会。
まだ蕾もまばらな時から、桜吹雪の舞うころまで
桜の見せる美しいストーリーに魅了されているうち、自分自身の体調にも自信がついていきました。
その後も、リハビリのため、人気のない早朝に川沿いを歩いたり、自宅でも踏み台昇降の台をつかい運動をするようになりました。
陽の光、風のささやき、川のせせらぎ・・
散歩って、なんて気持ちいいのー
今の私の身体活動目標は
おわりに
今回は、膵がんの治療経過ごとの、わたしの生活と身体活動量について、ご紹介してきました。
この2年を振り返ってみると、がん患者にとっての運動の難しさと、身体を動かすことの大切さが分かります。
また、外へ散歩に出て四季を感じることがどれだけ癒しに繋がるか、についてもあらためて思い出されました。
周りの同病の方の声をきくと、治療経過は本当に人によって様々なようです。
焦らず一歩一歩。
この経験談があなたを癒すヒントになれば、嬉しく思います。
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