このブログでは、すい臓がんを完治するまでの、知識と経験を共有していきます
【闘病記05】寿命ってなに? – 怖い、現実を受け止められない
こんにちは、チコです。
前回、がんと診断されてから希望の病院を受診するまでを、お話をしました。
がん専門病院なら、きっと何とかしてくれるはず
と期待を持っての受診でしたが・・・
診断は、「手術はできない」「一生抗がん剤治療」という結果に。
今回は、そんな状況下での気持ちの葛藤、姉から言われた「寿命だから仕方ない」という言葉
それらを通して、何を感じ、何を学んだかについて共有したいと思います。
夢中で走った治療までの道、ひと息つくと今度は不安に
がん診断から病院探しまで、無我夢中だった日々
膵がんと診断されてから、初めての抗がん剤治療を開始するまでの約1ヶ月間、本当に無我夢中でした。
すい臓がんがどんなものかよく分からず、病気について調べ、治療をお願いする病院を必死で探した・・
抗がん剤治療を始めるまでには、様々な検査もしました。
その一つが、確定診断のための「超音波内視鏡下穿刺吸引法 (EUS-FNA)」。
私の場合、一度の検査ではがん細胞の採取ができず、大学病院で1回、がん専門病院で2回、合計3度の検査でようやく採取することができました。
こんな風に、最初の治療が決まるまで、全速力で駆け抜けた日々。
そして、ようやく治療も決まり
一息つけたかのように思えました。
ふー
怖い、現実を受け止められない
ところがね、走る速度をゆるめ少しでも考える余裕がでてくると
怖いんです。
・・・・・
・・・・・・・
一生抗がん剤という事実に打ちのめされる
というよりは
漠然とした不安感がいつもあります。
大好きなコメディーを家族と観ていても、ほっこりする映画を観ても、心ここにあらず。
心の奥深くで「不安」という黒い雲の中に包まれている感覚でした。
あはは!いまのシーン、面白かったね!ねえ?・・ね?
・・・
はは、ね、おもしろっ・・・
寿命だから仕方がない
こんなふうに、顔では笑って皆と接していても、心の奥底で震えている私の本当の姿を
姉は見破ったのでしょう。
彼女が、なにかの拍子に「寿命だから仕方がない」と言ってきたのです。
それは、チコの寿命だから
人間、だれしも寿命があるから
・・
・・・・・・・
そうだよねえ。仕方ないことだよね
とっさに笑顔でそう返した。そして、私自身、そう思おうとした。
でも、当時の私は、わたしの心は
どうして「寿命」なんて・・どうして今のわたしに、そんなこと言えるの?
私まだ40代だよ、やりたいこと、心残りなこと沢山あるよ
・・・・・もう、いやーーーーー
と、心の中で叫んでいました。
後にこの「寿命」と言う考え方を理解することが私にとって大きなプラスとなるのですが、このときはまだ分かりませんでした。
そして、このとき「寿命」という言葉をつかう姉のほうがよほど辛かったのに、未熟なわたしは、彼女の気持ちまで考える余裕がありませんでした。
いま思い起こせば、わたしと話す電話の向こうで、彼女の声は震え、必死に泣くのをこらえていたように思います。
考えることから逃げた
怖い・・
不安感が募るなか、とうとう、私の脳は考えることから逃げてしまいました。
ー
すべての感覚が麻痺したような、ボーっとした感じ・・・
おそらく、わたしの脳が、私自身を守るための手段として、そういう態勢をとってくれたのかもしれません。
とは言え、頻繁に病院に通わなければならず、病院で過ごせば
どうしても、病気について考えざるを得ない状況に、引き戻されてしまうのです。
はあ、どうしたものか・・
患者会に参加してみよう
そこで、病院内で開催している膵がん教室に参加してみることにしました。
がん患者サポートのための様々な支援
がん患者をサポートしてくれるところは、病院だけでなく、他にもあります。
いくつかご紹介するので参考にしてみてください。
病院の患者会に参加してみた
ちょうど、がん患者をサポートしてくれる機関を探していたとき
私の通院する病院にも膵がん患者の教室や患者会があることを知り、さっそく申し込んでみました。
最初に、すい臓がんについて学べる「教室」、続いてその後、患者や家族が直接話せる「患者会」と参加。
「教室」では、プレゼン(医師からの治療情報、看護師さんからの生活アドバイス、栄養士さんからの食生活ヒント)のあと、質疑応答コーナーもあり
通常の診察だけではなかなか得られない情報や、普段聞きづらい疑問に対する回答も得ることができます。
とても有意義な時間を過ごすことができました。
苦しいのは私1人じゃない
「患者会」で、同病のがん患者さん達と直接お話しする機会をもてたことは、とても良かったです。
皆さんとお話しするまでは、ネットの情報から、「膵がんはただただ怖いもの」という印象が独り歩きしていました。
ところが、実際にお話ししてみると、「膵がん」という病の先にある、状況も立場もそれぞれ違う、お一人お一人の顔が見えてきます。
がんと診断されたショックや病気や治療の辛さに耐えながらも、希望や楽しみを見つけ、奮闘する姿。
そういう同じ悩みを抱えた仲間と接し、「私たちは一人じゃない」と教えてもらいました。
この経験が当時、とても心の支えとなったことを覚えています。
私が強くなれるきっかけをくれた看護師さんとの出会い
患者会に参加し良かった事は、同病の仲間たちとの出会いだけではありませんでした。
ここで出会った看護師さんとの会話がきっかけとなり
私自身大きな成長の一歩を踏み出すことになります。
続きは、以下の記事でお話しします。
この期間の学び – メメントモリ / memento mori
顔では笑いながらも、心の奥では震えていた私を見抜いた姉が放った
「寿命だから仕方がない」
これを聞いた当初、何とも言えない悲しみに包まれました。
◇ ◇ ◇
でも、のちに私は「寿命だから仕方がない」と言ってくれた姉に感謝することになるのです。
◇ ◇ ◇
この「寿命」という言葉が、私の中で腑に落ちたとき、『メメントモリ』という言葉を思い出しました。
メメントモリ / memento mori
※ 「死を想え」「死を忘れるな」というラテン語の格言
『死を想え』・・・ 誰にもいつかは死がやってきます。それが「寿命」なのでしょう。
でも、私たちは、普段そのことを忘れています。
もちろん、いつも考えている必要はないのですが
心のどこかに、誰しもいつかは迎える「死」への意識があると、人はより強く「生きる」ことが出来ることを、学びました。
◇ ◇ ◇
死を想うことで、「生」が輝きます。
死を想うことで、「今この一瞬一瞬」を楽しむことができます。
死を想うことで、「覚悟」ができ、強くたくましく生きることができるのです。
おわりに
今回は、がんと診断され、延命治療しか残されていない現実と向き合う、わたしの心の動きをお話ししました。
患者会に参加したわたしは、今後の私の考えた方を左右する看護師さんと出会います。
続きは、以下の記事でお話しします。
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