【闘病記12】術後ICU – 痛み、涙、生きる希望

【闘病記12】術後ICU - 痛み、涙、生きる希望

このブログでは、すい臓がん完治するまでの、知識と経験を共有していきます

こんにちは、チコです。

前回の投稿では、手術が終わり、集中治療室(ICU)で目が覚めたところまでお話しました。

集中治療室で目を覚ますと、待っていたのは、ひどい喉の渇きと、恐怖心。

今回は、術後、集中治療室で過ごした4泊5日の壮絶な体験をお話しします。

そこには、つらい痛みと、感謝の涙、そして、生きる希望がありました。

もくじ

集中治療室での4泊5日で体験したこと

入院、手術

12月5日に手術が終わると、9日までの5日間を、集中治療室で過ごしました。

初日は、他の患者さんと一緒のオープンスペース。翌日からは、個室で。

激しい痛みと、極度の低血圧のため、通常より長めの滞在となりました。

術後の経過は、個人差が大きいようですが

私にとって集中治療室での経験は、まるで「戦場のよう」「怒涛の日々」といった印象でした。

特に心に強く残った体験を、振り返っていきます。

恐怖:目覚めたあと、恐怖を覚える

病室

ガチャ

ガチャ

ガチャ

◯◯さん、点滴お願いしますー!

ガラガラガラー

◯◯さん、痛み止め追加ねー!

ガチャガチャ

ICU

眠りから目覚め、しだいに意識が戻ってくると、猛烈な不快感に襲われます。

意識はあるのに身動きがとれないもどかしさ。

酸素マスクや鼻からのチューブをはじめ、体中、たくさんの管や点滴で繋がれており

自分で体のコントロールができない不安がありました。

さらに、消灯後の暗くなった部屋では、閉塞感まで加わり

チコ

怖い

怖い・・

初めて味わった、何とも言えない恐怖心でした。

集中治療室

定期的に看護師さんがきては、毛布やクッションを足や背中の下に入れ、体勢を調整してくれました。

大丈夫ですか、と声もかけてくれます。

それでも不安は拭えませんでした。

今考えれば、完全な私の敗北。術前のイメージトレーニングが足りなかったと、反省しています。

術前に、術後に陥るであろう精神状態を、あらかじめイメージできていたら、こんな恐怖心はなかったかも知れません。

怖い

痛みについてはどうだったでしょう。

目覚めたあと、はじめは、腹部全体に少しだけ鈍い痛みがあったと記憶しています。

ただ、まだ、うつらうつらした状態。まどろみに身をまかせれば、痛みもさほど気になりませんでした。

絶望:ひどい喉の渇きに、絶望する

砂漠

意識が、薄れては戻り、また薄れては戻り・・・

・・・・・

と繰り返していた私でしたが

突然、異常な喉の渇きを感じます。

まるで砂漠の中に放り出されたような、何とも言えない感覚。

とにかく水を欲しているのです。

カラカラに乾く

「このままでは5分ともたない!」と、心の中で叫んでみますが・・・

お水を飲むことさえできない、今の自分の状況に

本当に絶望感しかありませんでした。

苦痛:耐えがたい痛みに、苦しむ

点滴スタンド

手術の翌日から、だんだんと痛みがひどくなってきました。

チコ

痛いです

看護師さん

分かりました
痛み止めを変えてみましょう

チコ

まだ痛いです

看護師さん

次の痛み止めまで、あと1時間くらい我慢してください

時間がたつのが遅く感じる

・・・う〜、

チコ

う〜、もう我慢できません

看護師さん

分りました
すぐに先生を呼んできますね

こんなやりとりが、一体何度繰り返されたことでしょう

・・・

痛み

「大丈夫ですかー、もう少しで新しい痛み止め入りますから頑張ってー」

「いま、先生来ますからねー」

こんな風に、看護師さん達をバタバタと忙しくさせてしまう、激しい痛み問題に恐縮していた私でしたが

ついには、痛すぎて、気を失ってしまうのでした。

倒れる
看護師さん

じゃ、少し姿勢を変えてみましょうか
痛みが楽になるかもしれませんから

はい・・

う、痛っ

・・・・・

体勢を変えたとたん、あまりの痛みに失神・・

・・・

ベッドに横たわる

チコさーん

チコさーん

チコさん、大丈夫ですかー

気がつくと、先生や看護師さん達が私の周りに集まっていました。

手術

こんな風にひどく痛む日々は、約10日ほど続いたと

当時の日記に綴っていました。

涙:命の恩人(看護師さん)に、涙する

サポートのイメージ

この病を通じて、本当にたくさんの人たちに助けられました。

それは、さながら「命のバトンリレー」のようだったと、前回の投稿でお話ししたかと思います。

バトンリレー

医療関係者や家族、周りの力強いサポートなくして、今の私はありえません。

ここでは、集中治療室で出会った命の恩人の(激痛のあまり気が狂いそうだった私を救ってくれた) 看護師さんお2人を紹介します。

身を挺して患者を苦しみから守るベテラン看護師さん

看護師さん

術後の痛み、他の方に話を聞くと、「そこまで苦しむ事はなかった」という人も多いですが

私の場合、「本当に一時も我慢できない」というほどの痛みに、のたうち回りました。

手術翌日の夜、その痛みはピークをむかえます。

チコ

もう我慢できません
別の痛み止めありませんか

痛み
看護師さん

分りました、先生に確認してきます

夕方から夜にかけ、こんなやりとりが頻繁に行われるようになりました。

薬を変えてみるも、痛みは我慢できないほどに。

チコ

我慢の限界です
痛み止めを追加してください

痛み

とうとう先生が部屋までいらしてくださいましたが

私の血圧や身体の状態の数値を確認すると、

ドクター

うーん、悪いけど、血圧が低すぎて、これ以上薬は増やせない

とおっしゃって帰られました。

私もいったんは納得したものの、どうにもこうにも我慢ができません。

たった1分間の我慢が、何時間にも感じるのです。

・・・・・・・

う〜、まだ1分しかたってない・・・
痛いよ〜

痛み

この間、いろんなことを考えました。

チコ

昔の人は、痛みをどう我慢したんだろう

あー、切腹の時や、麻酔がない時代の手術、
痛かっただろうな・・・

でも結局・・

チコ

切腹は、介錯が入って苦痛をとってあげたし、
麻酔がない時代の手術は痛みのショックで亡くなった人もいたと聞く・・

痛みで動けない

私ももう無理・・

今考えると不思議ですが

私は、あれだけ痛みに悶える一方で、こんな風に様々な思いを巡らせていたのです。

そんな中、ある1つのことが思い出されました。

それは、手術の前日に観た「世界一キライなあなた」という尊厳死や安楽死をテーマにした映画です。

そして

看護師さんが「痛みはまだひどいですか?」と声をかけてくれたとき

私は、この映画のテーマ「尊厳死・安楽死」のことを持ち出し、こう聞いてみました。

チコ

痛みがつらいです・・

チコ

昨日観た映画の中で、尊厳死や安楽死を扱っていました

チコ

人は、こんなに辛い痛みを我慢してまで、生きなければなりませんか?

すると看護師さん

看護師さん

分かりました、そんなに痛いんですね

看護師さん

先生と掛け合ってきますっ!

と言うと、部屋を飛び出していき

病院の廊下

先生を連れて戻ってきました。

ところが、先生は私の状態を確認し

ドクター

痛いのはわかるけど、血圧が低すぎて難しい

という判断を下します。

血圧

すると、この判断を聞いた看護師さんが

看護師さん

では、血圧を上げる薬を投与しながら、痛み止めを追加したらいかがですか?!

彼女は苦しんでます!

看護師さん

私が全責任を負いますから!
私がずっとそばで、一晩中見守っていますから!

お願いします!

と、先生を説得して下さったのです。

この看護師さんのプロとしての『覚悟』には、本当に頭が下がるとともに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

この後、血圧を上げる薬と追加の痛み止めを打っていただき、夜中に少しだけ眠ることもできました。

チコ

看護師さん、先生、
その節はご迷惑をおかけしました。そして、本当にありがとうございました。

患者の痛みと真摯に向き合う若手看護師さん

若手看護師さん

もう一人、患者の痛みに真摯に向き合い苦しみに寄り添う、若手の看護師さんの姿が印象的でした。

ベテラン看護師さんと比べたら、まだ、たどたどしさの残る彼女でしたが、

一生懸命さが滲み出ていて、まるで家族に看病されている気分になるのです。

鎮痛剤が効かず、私が痛みに悶えていると

看護師さん

温めると少し楽になるかも
ホットパックを使ってみますか?

あと、もし良かったら・・
わたしがチコさんのお腹に手を当て
少し優しく撫でてみますね

チコ

え、そんなことで、この痛みがなくなるんですか?

最初は半信半疑の私でしたが

「少し楽になるかもしれないからやってみましょう」

の言葉に、試しにやってもらうことに。

正直、これで劇的に痛みが改善するわけではありませんでした。

でも、痛みでガチガチになっていた心と身体の緊張が、すーっとほぐれ、少し楽になっていくのを感じました。

何より、心が温かくなり

痛みで苦しかった呼吸も、しだいに落ちついてきました。

優しさのイメージ

看護師さんの手から感じる優しさを受けとりながら

子供の頃、母がしてくれた「手当て」を、思い出していました。

チコ

そういえば、子供の頃、胃腸の弱い私のお腹を、いつもお母さんが、温めたり撫でたりしてくれたなあ

この集中治療室での、「お腹は温めると楽になる」いう経験から

術後2年経った今でも、ホットパックは欠かせないものになっています。

希望:リハビリ開始に、生きる希望を見いだす

希望

激しい痛み、という印象の強かった集中治療室での日々。

でも、もちろん、それだけではありません。

集中治療室では、「生きる希望」ももらいました。

手術の翌日から試みた「歩く」というリハビリです。

残念ながら手術の翌日は、ベッドから起き上がるだけで倒れ、「歩く」というゴールまでは程遠いところにいましたが

ここから数日かけて歩けるようになっていきました。

痛み止めで苦痛が少ないタイミングを見計らっては、看護師さんがリハビリに付き合ってくださいました。

リハビリ

まずはベッドで起き上がる

ベッドの横に立つ

その場足踏み

1メートル進んでみる、2メートル進んでみる

病室を出るところまで

ナースステーションを一周!

この「ただ歩く」ということが、当時の私にとっては「生きる希望」でした。

この時期の学び – 『尊厳』と『 献身』

学び

この期間の学びは『尊厳』と『 献身』。

今回、集中治療室での2人の看護師さんをご紹介しましたが

彼女たちから、『 尊厳 』 と『 献身 』 をあらためて学びました。

尊厳

入院してみて実感したのですが、看護師さん達はかなり忙しいです。

たくさんの患者を抱え、ミスなく看護するには、相当な労力が必要。

それだけでも十分尊敬に値しますが、

今回ご紹介した看護師さんは、さらに

一患者としてだけでなく、私を「人として尊重」し、看護してくださいました。

尊厳を持って、接する

尊重と敬意の心で、接する

とても大切なことだと、あらためて感じます。

献身

看護師さんが、私の痛み止めを追加するために

「私が責任を取ります」

と言ってくれた時、「あー、私はこの人にかなわないな」と尊敬の念を抱くとともに

そういえば、私も、「私が責任を取ります」と言ったことがあったな、と思い出しました。

◇   ◇    ◇

東日本大震災が起きたときのこと。

私はあるITチームのリーダーでした。

放射能漏れの心配をした一部の外国人チームメンバーが「国に帰りたい」と言ってきたのです。

何人かの親御さんからは、電話で直接「どうか息子を帰して下さい」と、お願いもされました。

それを聞いた私の上司やプロジェクトリーダーたちは当然反対。なぜならそのプロジェクトは5〜6社共同で開発する大きなものだったからです。

でも、私に迷いはありませんでした。

「帰りたいと言っているメンバーには帰ってもらいます」

「責任はわたしが取ります」

と上司に伝えました。

◇   ◇    ◇

「責任はとります」

それは、当時の私にとっては相当な覚悟でした。

でもね

看護師さんが、私を苦しみから救うため「責任をとります」と言ってくれたとき

命をあつかう医療現場での「責任をとる」の重みには、とても敵わないな、と思いました。

献身、コミットメント、身を捧げて尽くす

彼女のこの『献身』への覚悟からは、とても大きなものを学ぶことができました。

おわりに

痛みとの闘いに明け暮れた 4泊5日の集中治療室での日々

一般病棟へうつる間際、遂に!ナースステーションの周りを一周、歩けるまでになりました。

まるで子鹿のような、たどたどしい歩きでしたが

ICUスタッフの皆さんが、笑顔と拍手で応援してくださいました。

今思い出しても、涙がこぼれる瞬間です。

みなさん、本当にお世話になりました。

次の記事では、一般病棟での生活をお話しします。

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